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軽井沢の移り変わりを見続けてきた万平ホテル
軽井沢は中山道の宿場町として江戸時代に栄え始めた。
時代とともに中山道を利用する旅人が減り、1884年頃に国道が開通したことで、宿場町は衰退していった。
1886年にカナダ人宣教師が軽井沢を訪れ、別荘を所有したことから避暑地として注目されるようになる。当時は外国人に人気の避暑地として、外国人三大避暑地の一つと言われるほどであった。それをきっかけに日本の財界人や文化人が軽井沢に別荘を建てはじめ、旧軽井沢に別荘を所有することがステイタスとなった。そんな軽井沢の移り変わりを見続けてきたホテルが、万平ホテルである。
ホテルエントランス
万平ホテルは、1764年に佐藤万右衛門が旅籠「亀屋」として開業した。1886年に、軽井沢に初めて別荘を所有したカナダ人宣教師のA.C.ショーのお供で軽井沢に来たディクソン氏が夏の間滞在。それを機に、外国人客が増えたため、欧米風のホテルに改装して、亀屋ホテルに改名。1936年には万平ホテルと改名した。
万平ホテルにはいくつもの伝説がある。田中角栄がキッシンジャー米国大統領補佐官と会談した会場となったり、ジョン・レノンファミリーが夏に4度も宿泊していたり、三島由紀夫が小説を執筆していた部屋もある。三島由紀夫の小説『美徳のよろめき』の舞台となったのもこのホテルだ。
ホテルロビー
ホテルエントランスを入ると、すぐにフロントがあり、その奥には重厚な雰囲気のロビーがある。歴史のあるホテルなので、数え切れないほどの著名人、有名人、政治家などが宿泊していたが、ジョン・レノンの宿泊エピソードが一番多く残っている。
アップルパイとミルクティーの話はFOODの方で書いたので、ここでは省略する。それ以外では、オノヨーコの実家の別荘が万平ホテルのそばにあり、別荘を行き来していたそうだ。
ジョン・レノンがネコ好きだったというエピソードも残っている。
ある晩、「壁から子猫の鳴き声がする」とジョンからホテルスタッフに連絡が入った。
スタッフは、「明朝大工が来たら壁を剥がして確認します」と伝えたところ、
「明日まで待っていたら子猫が死んでしまう」とジョンは言い、スタッフとともに壁を剥がして子猫を救出したのだった。
ジョン・レノンが弾いていたピアノ
ジョンが宿泊していた頃は、ホテル内のバーにピアノが置いてあり、ジョンがたまに弾いていたそうで、その時、バーに居合わせた人たちはジョンの生演奏を聞けたのだから、その時代に万平ホテルを訪れたかったと思うファンもいるでしょう。そのピアノは、ホテル内の史料室に展示されている。この史料室にいると、 万平ホテルの長い歴史を感じることができるのでオススメだ。
アルプス館の客室
万平ホテルは、軽井沢宿として栄えた時代に創業して、外国人に人気の避暑地になったのをきっかけに、外国人客に合わせた宿泊スタイルであるホテルに生まれ変わるなど、時代とともに変化し続けてきた。
そして今もなお、時代とともに変化し続けている。
万平ホテルには、歴史を感じるアルプス館、アルプス館の雰囲気を感じるウスイ館、シンプルな部屋が28室あるアタゴ館、別館、コテージスイートと、5種類の客室がある。文豪やジョン・レノンが宿泊した部屋を希望するなら、アルプス館を選ぶべき。
万平ホテル
長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢925