ブラジルのアグロフォレストリーに惚れ込み
アマゾンフルーツで起業
ブラジルのアマゾン原産のスーパーフード「アサイー」を2002年から日本に輸入している株式会社フルッタフルッタの長澤誠社長にブラジルの街やアサイーについてお話を伺いました。
アサイーの木
Apollon(以下A):御社のアサイードリンクを美容と健康のため10年程飲み続けています。9月16日の「アサイーの日」のオンラインイベントに参加して、ブラジルに渡った日本人移民がアサイー栽培と関係していると知り、移民が住んでいる町や農法にも興味を持ちました。
アサイーの輸入を開始された2002年頃はスーパーフードという言葉も国内では一般的ではなく、日本在住でアサイーを知っている日本人はほとんどいなかった時代だと思います。そんな中で、アサイーを輸入したきっかけを教えてください。
長澤誠社長(以下長澤社長):大手電子部品メーカーに勤務していましたが、実家の食品メーカーを手伝うことになり退職しました。食品メーカーのチョコレート事業部で、チョコレートの原料のカカオで何か面白いものはないかと探していたのです。タイミングよく、アマゾンに詳しい知人からカカオの一種であるクプアスを教えてもらい、ブラジルまで飛びました。ブラジルでは、クプアスはフルーツとして食べられていて、チョコレート(厳密にはクプアスのチョコレートをクプレートという)の原料になる種の部分は捨てられていると聞き、チョコレート(クプレート)としてリサイクルできると考え、アマゾンまで探しに行ったのです。
まず最初にアマゾンで有名な都市、マナウスの生産者に会いに行きましたが、大量生産している生産者がいなかったので、トメアスの生産者を紹介してもらいました。マナウスからトメアスまで約1500キロの距離があり、飛行機でベレンまで行き、そこから未舗装の道を約8時間クルマで移動しました。トメアスの生産者と会って話をしましたが、当時はクプアスをそのまま輸入するのは難しく、取引がスムーズには行かなかったので一旦保留にしたのです。
A:クプアスの取引ができなかったことで、アサイーと出会ったのですね。
長澤社長:取引ができない時点で通常ならそこで終わるはずですが、トメアスの生産者が神戸からブラジルに渡った日本人移民だったこと、私も神戸出身なので仲間意識を持つようになり、他人事とは思えなくなったこと、そして一番の理由は日本人移民の農法である「アグロフォレストリー」に惚れ込み、トメアスの生産者(トメアス総合農業協同組合)とビジネスをしたいと考えたことがアサイーと出会ったきっかけです。何種類もあるアマゾンフルーツの中から、ポテンシャルのあるアサイーをメインとして、2002年に輸入を始めました。
日本人移民の農法「アグロフォレストリー」は様々な樹木を混植する栽培方法
トメアス総合農業協同組合の方々
収穫したアサイーと搾りたてのアサイードリンク
A:日本ではアサイーボウルで有名なアサイーが実は日本人移民と深い関わりがあるだなんて。これからもフルッタフルッタのアサイーを買ってトメアスの生産者を応援します。
長澤社長がトメアスの生産者とビジネスをするため、現地を訪れていた2000年頃ブラジルにアサイーブームの火付け役になった方々がいたのですよね。
長澤社長:アマゾン原産のアサイーはアマゾン地域では昔から日常食です。アマゾンに暮らす先住民族の貴重な栄養源だったと聞いています。元々はアマゾン地域で食べられていたアサイーが世界中から注目されるようになったのは、アマゾン地域出身の格闘家、柔術家、サーファー、サンパウロやリオデジャネイロにあるサッカーチームの選手など、世界で活躍するトップアスリートがアサイーを食べていると話題になったからです。私がアマゾンフルーツでの起業を考えていた2000年頃、ブラジルの新聞やテレビでアサイーが取り上げられる機会が増えていて、トメアスの生産者から新聞記事を見せてもらったりしたことで、アサイーは注目されているフルーツなので日本でもポテンシャルがあるかもしれないと思いました。日本ではJリーグが誕生した頃で、サッカー選手の中澤佑二さん、格闘家のグレイシー一族や中井祐樹さんといったトップアスリートが日本でもアサイーブームの火付け役になりました。
アサイースムージー
(イメージ写真)
フルッタフルッタのアサイー商品
A:栄養価の高いアサイーは食べ続けることに意味があると思っています。鉄分不足の女性にもおすすめです。アサイーの鉄分含有量はアサイー100gに生プルーン約58個分だそうですね。
では、ブラジルの街マナウス、ベレンについてお話伺います。
この2都市はアマゾン地域の街ですが、街の特徴を教えてください。
長澤社長:マナウスはアマゾンの自然を残しているアマゾナス州にあります。アマゾンの大自然の中に西洋の文化が入ってきていて、近代的な都市とアマゾンの自然が融合して世界中から観光客が訪れる街です。ベレンはマナウスの隣の州ですが、マナウスとは全く違う素朴な雰囲気の街です。神戸から船に乗り日本人移民が到着した街がベレンです。最近のベレンの街中は最初に訪れた2000年頃からは様変わりしていて、高層ビルが建つようになり近代化が進んでいます。
ベレンの街並み
アマゾン川沿いの街ベレン
ベレンにある教会
A:ベレンに興味があります。1929年に日本からブラジルに第一回移民が到着した街ということで一度は訪れてみたいです。アマゾン地域のトメアスはどのようなところでしょうか?
長澤社長:トメアスは日本人移民がゼロから作った場所です。1933年にコショウ生産を始め、コショウバブルで町は繁栄しましたが、コショウが枯れる根腐病が流行り、コショウバブルが崩壊しました。コショウの代替作物としてカカオが提案され、カカオやコショウなど様々な樹木を混植する栽培が始り、画期的な農法である「アグロフォレストリー」が確立されました。
移民が移住した頃は木造の住居で人々が暮らす質素な町だったようです。コショウバブルで街は好景気となり大豪邸を建てた人たちもいました。今は移民の町というよりはブラジル国内から大勢が移住して、6万人規模の街になっています。
日本人移民が開拓したトメアス
日本人移民が建てた病院
コショウの収穫をする日本人移民
トメアス組合農業協同組合の本部とコショウの倉庫
A:コロナが落ち着いたら、トメアスにも行ってみたいです。
あと気になったのがアマゾン川沿いのカメタという街です。こちらもアサイー生産地なのですよね。
長澤社長:カメタはベレンから車で約5時間のところにあります。カメタは400年の歴史のある街で、かつてフランスの植民地だったこともあり、ヨーロッパの古い建築様式が残っています。
カメタには500以上の島があり、アサイーの林を住民が生産者として管理しているのです。各生産者のアサイーがカメタ市場まで運ばれて売られています。
この地域では、アサイーお粥のような温かいアサイーミンガオを朝ごはんに食べているのです。アサイーボウルやスムージーとは違い塩味です。また味付けしていないアサイーのピューレにキャッサバ芋のフレークをかけて、干し肉やエビや魚と一緒に食事として食べたりもします。この地域の方は日本とはアサイーの食べ方が全然違いますね。
アサイーの収穫地
カメタにあるアサイーミンガオのお店
アサイーミンガオ(温かいアサイー)
アマゾン地域で食べられているアサイーの食事
A:日本ではアサイーピューレとフルーツを組み合わせてアサイーボウルとして食べている人が多いですが、アマゾン地域の人たちは日本人のごはん と味噌汁のようにアサイーを食べているのですね。温かいアサイー食べてみたいです。
本日はありがとうございました。
株式会社フルッタフルッタ
代表取締役
社長執行役員/CEO 長澤 誠
関西学院大学卒。京セラ株式会社を経て、米国DSC COMMUNICATIONS の日本法人営業部長を務める。その後、アサヒフーズ株式会社の取締役、常務取締役を歴任し、米国販売のための子会社Asahi U.S.A を設立し海外業務を統括。2002年に独立し、株式会社フルッタフルッタを設立。「自然と共に生きる」を企業理念に据え、アグロフォレストリーの商業的普及への貢献と自然資本を原点とする経済と環境の共存社会を目指す。