三島由紀夫の定宿「柊家旅館」を訪ねて

京都に外資系のラグジュアリーホテルが続々オープンしているが、京都の老舗旅館は不動の人気を博している。京都老舗旅館の御三家、柊家・俵屋・炭屋はどれも麸屋町通沿いにある。大通りの御池通りから麸屋町通に入りすぐのところに位置する三島由紀夫が愛した「柊家」を紹介する。

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柊家旅館入口

柊家は幕末文政元年(1818年)創業以来、皇族、文化人、財界人が宿泊する格式のある老舗旅館だ。木造二階建て数奇屋造りの歴史を感じる本館と2006年に完成した鉄筋造りの三階建ての新館がある。客室は本館21室、新館7室の全28室。新館は和風建築で本館と違和感のない外観だが、新館にはエレベーターが設置されるなど、伝統と革新を融合した造りになっている。

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内玄関

入り口の格子戸を開けると、昔、人力車がそのまま乗り入れた石畳の空間があり、奥に進み玄関を上がると「来者如帰」と書かれた重野成斎氏の書が飾られているのが目に入る。「来る者、帰るが如し」は「我が家に帰ってこられたように、くつろいでいただきたい」という創業以来のおもてなしの心を表している。入り口から玄関に至るまで、四季を感じる温もりのあるしつらえに心が癒された。

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重野成斎氏の書「来者如帰」

三島由紀夫が気に入っていた33号室は、本館1階にある庭に面した角部屋で、12畳の本間と控えの間で構成される。部屋の床の間の奥の書院からは庭が見渡せ、中庭の緑が部屋の一部のようで、広々とした空間に感じられる。緑に囲まれた部屋は家で寛いでいるかのようで心地よい。部屋のいたるところには柊の模様がある。器、座布団、テーブル、バスマット、アメニティなど、柊の模様を見つけるとほっこりとした気分になる。

柊家の由来は、創業者が下鴨神社の境内にある比良木社を信仰し、ここには邪気を祓う柊の木が自生していたことで、屋号を柊家にしたのだという。

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三島由紀夫が気に入っていた33号室

「日本家屋は木、土、紙等自然の素材を使って作られており、玄関から部屋、部屋から縁側、庭までを襖や障子で空間を柔軟に仕切ることで、自然の流れと温かさを感じていただけます。又座敷に活けられた季節の花を引き立てる様に、庭には多くの花は植えずに、苔や緑の木々を中心に自然の景色を仕立てます。植木職人にはそれぞれの木の性質や姿を活かしながら、全体に調和のとれた空間を作っていくための知識と技術、感性が求められます」と6代目女将の西村明美さん(以下女将さん)はいう。

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33号室。床の間の奥にある書院から庭を見渡せる

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書家上田普氏が書いた旧館内案内図

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キーホルダーも柊

柊家にはこれまで、幕末の志士、明治時代からは皇族や、海外の王室の方々、正岡子規、夏目漱石、チャーリー・チャップリン、アラン・ドロン、川端康成、宇野千代、三島由紀夫など、また、海外の企業の方が出張で東京に来た際に京都まで足を運び、柊家に宿泊すると聞いた。

特に川端康成は、執筆のためだけではなく、時には「京阪で他の宿に泊まった後でも柊家に落ち着きにゆき、中国九州の旅の行き帰りにも柊家に寄って休む」と寄稿文に書かれているように、 柊家には親しく宿泊した。

「三島由紀夫先生は川端先生とは親しくされていたので、そんな関係で柊家に良くお見えになったのだと思います」と女将さん。

川端康成の寄稿文には、「目立たないこと、変わらないことは古い都の柊家のいいところだ。昔から格はあっても、ものものしくはなかった」とある。そのような所を三島由紀夫も気に入っていたのだろう。実際に柊家に伺ってこの文が心に響いた。

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新館の部屋。座布団にも柊模様

女将さんは約30年前に仕事を始めているので、三島由紀夫については大女将や柊家の仲居を約60年務めた、田口八重さんから色んな話を聞いたのだそうだ。

田口八重さんの著書『おこしやす』には、三島由紀夫が最後の家族旅行で柊家に宿泊したことが記されている。1970年11月、人生初の松茸狩りを京都の高雄山にある「もみぢ家」で家族と体験した。その時に三島由紀夫が書いた「文武両道」と「錦秋の秋」の書がもみぢ家にあるのだそう。

もみぢ家から柊家に戻り、八重さんがお部屋を訪ねると三島由紀夫の奥様が涙ぐまれていて、三島由紀夫は坊ちゃんのことを思い詰めた眼差して見つめていたと書かれていた。翌日、三島由紀夫一家が帰る際、いつもは玄関からさっと車に乗って京都駅に向かうのに、この時は何度も振り返って、「お八重さん、長生きしてください。みなさん、いつも大事にしてくれて本当にありがとう」と言って車に乗り込んだという。その後、三島由紀夫は京都駅から八重さんに電話をかけて、「お八重さん必ず長生きしてくださいね」と言ったのだった。これがお別れの挨拶だと八重さんが知るのはその約25日後のことになる。

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内玄関。七夕の前日に訪問

柊家に宿泊する多くの著名人に気に入られていた田口八重さんとはどのような人物だったのか女将さんに尋ねたところ、「八重は、28歳で柊家の仲居として働き始めて、昭和36年に運輸大臣賞、昭和44年には接客業に携わる者で初の黄綬褒章を受賞しました。女手ひとつで小さかった息子さんを育てて苦労してきたので、一本筋の通ったところのある女性でした。純粋で苦労を知らずに育った人は、相手の苦労には気が付かない事があるかと思いますが、八重は色んな人の相手の気持ちになれる人でしたね。三島先生が最後に宿泊された時に坊ちゃんの将来のことを心配して八重に聞かれたところ、八重は、『坊ちゃんは先生と同じ様な、いやそれ以上の方にならはります』とお答えしたのは、八重が子育てをしていたことで子供が親を超える存在になるのが一番の親孝行だと思っていた気持ちが自然にこの言葉になったのでしょう。会話の中で自分が苦労してきたことが言葉に込められているのです。又探究心も強くて、学識のあるお客様とお話をする際に知らないことが多かったために、毎日、新聞を欠かさずに読み、90歳になっても新聞を読んでいました。多くの方に気に入られていた理由の一つは、それぞれのお客様に親身になってお世話させて頂いたからだと思います」とのことだった。

三島由紀夫が最後の家族旅行に柊家を選んだのは、おもてなしの達人である八重さんに最後のご挨拶と、好きな場所での楽しい想い出を家族に残したかったのだろう。

柊家は我が家のようにくつろげるだけではなく、創業から約200年間に宿泊した文化人、財界人の様々な想いを時空を超えて感じることができる旅館なのだ。

 

 

柊家旅館

京都府京都市中京区麩屋長姉小路上ル中白山町

TEL:075-221-1136

https://www.hiiragiya.co.jp

Text by 川合由希子